page141: AI時代=ポスト・ホワイトカラー時代をどう生きるか
世の中がAI時代に入り、今後、ますます先鋭化していくのはほぼ確実だろう。
AIが騒がれ始めた数年前はその未完成さを馬鹿にした人も多かったけど、今ではその人たちも驚異的な進化に青ざめているだろう。技術革新ではあるあるの風景だ。人間は成長しないもんだね。
ホワイトカラーとブルーカラーという二元論みたいなものを特に強化したのは、団塊世代だろうか。ブルーカラー=3K(今の時代では死語だろうから若者は知らないだろう。キツイ、キタナイ、キケンの接頭語だ。)みたいな、差別意識を子供達に植え付けた。その3Kのブルーカラーを避けるためには、お受験を頑張って、ホワイトカラーになるのが人生の勝ち組だ、というのが教義だった。しかし、本格的なAI時代になり、その教義は見事に破壊されつつある。一人の一生でこのような本格的なガラポンを体験することは、なかなかないのかもしれない。
日本は今でも言霊と怨霊に縛られている文化があるから、一部の先進的なところを除けば、AIのような外来物は忌避する傾向が強い。しかし、抵抗を続けてもいずれ陥落するのはほぼ確実だろう。地球全体がAI社会に向かっているのに、我関せずでいられるのは、頑固に鎖国を続けるお役所くらいだろうか。日本のお役所だけは現代でも紙と判子とFAXという三種の神器で守護されている異空間だ。
AIはパンドラの箱で、どう考えても、もう不可逆だろう。この発明を無かったことにできるわけがない。かつて、駅の改札口には切符を鋏で切る職員がいたが、現在では、完全に無人になった。当時は何も思わなかったが、今ではよくあんな仕事を人間がしていたな、と思う。それと同じことが、今のホワイトカラーと呼ばれている職場でも起きてくるのだろう。それが、技術革新で、過去の常識を徹底的にあっさりと破壊する。
ホワイトカラーは絶滅まではしないだろうが、どんどん斜陽化、レッドオーシャン化になっていくのではないだろうか。特に危ういのは、朝から晩までパソコンの画面だけを相手にして完結する仕事だろう。コンピューターの中だけで行う仕事なら、人間ではなくコンピューター自身にやらせればいい、という身も蓋もない話になってしまう。お受験を頑張って、一流大学へ進んだとして、その後の出口戦略はあるのだろうか。その大学の存在価値すら、そろそろ怪しくなってきたと思う。
ポスト・ホワイトカラー=ブルーカラーの時代というのも単純すぎるような気もするし、ブルーカラーという表現は嫌いだから、肉体回帰、自然回帰へとゆっくり戻るのだろうと予想している。コンピューターを発明した人類が、コンピューターに追い出されるという皮肉。長い人類史で見れば、近現代という長い時間は、人類にとって大きな寄り道だったのかもしれない。