page144: 仕事のための会社が、いつの間にか、会社のための仕事になる
目的と手段の逆転はよくあることだけど、仕事と会社も代表的な例だろう。
本来は仕事という目的がまずあって、その仕事をするための会社のはずだ。しかし、まず会社があって、その会社のための仕事にいつの間にかすり替わっていることが往々にしてあり、会社を維持するための仕事になる。
会社という組織が巨大化すると、自己保全の機能が強くなるのは当然の宿命なのだろうか。スティーブ・ジョブズが率いたAppleのような革新的だった会社でさえ、最近は巨大化して守るものが増えるにつれ、かつてほど大胆な賭けをしにくくなるように見える。
会社員という存在も、一つの仕事を達成するより、その会社に所属して出世することが第一義となる。組織が巨大化、官僚化すればするほど、醜い出世競争や派閥闘争に明け暮れる組織もある。これは組織の宿命なのだろうか。
自分は零細な小商いをしているが、自動化し過ぎたようで、自分の人間力、労働力を使う場面が激減して、だいぶ劣化していることに気がついた。昨年の夏は酷暑だったので、長い大人の夏休みを取ったが、ほとんど無職のおじさんのようで、収入があっても家族の視線がなんとなく冷たかった。(苦笑)
酷暑が落ち着いた昨年の秋頃から、プロジェクト型で、期間や完成物の決まった仕事をする働き方に移行してみたが、これが本来の仕事だよなと思った。いわゆる、フリーランスに近い働き方だけど、身分や職業名など何でもいい。必要な仕事があって、必要な技能を持つ人員を集める、というのが本来の仕事の形ではないだろうか。それが、多くの会社は会社を維持するために、仕事をしなければならない状態にすり替わってしまっている。
会社と会社員の関係が不幸になる根源はここにありそうな気がしている。会社という檻に閉じ込められたように感じながらも、生活や家族のことを考えれば簡単には抜けられず、定年まで耐え続ける会社員も少なくない。会社は会社で、仕事がなくても、会社(会社員の給料)を維持しなければならないという、会社なりの苦悩がある。会社員ではない自分から見ると、お互いに不幸な関係のようにも見える。
法人は人類の偉大な発明で、会社という制度そのものがなくなることはないだろう。ただ、一つの会社が一人の人間を何十年も抱え込み、一人の人間も一つの会社に人生を預けるという関係は、そろそろ古くなってきたのかもしれない。必要な仕事が生まれ、その仕事のために人が集まり、仕事が終わればまた離れる。そんな形がもっと普通になれば、会社にとっても働く人にとっても、今より少し身軽になれるような気がしている。